
ビューティーキャリアTOP > 特集 > 美容師の本音 > 【デビューから振り返って語る。スタイリストになるということ、今後の夢】第3回


あの頃の夢や野望について
2006年4月に独立し、BLESSを設立。JHA2007年中部エリア賞受賞を皮切りに、JHA2008年ニューカマー部門ノミネート、ライジングスター部門ノミネート、JHA2009年ライジングスター部門優秀賞を果たす。月間指名売上げ400万円を誇る実力派。
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クリエイティブ性に特化し、全国でもトップクラスの逸材を残す『REMIX』にて、初のスタイリストデビューを果たす。JHAライジング優秀賞など、受賞作品も多数。
『BUDDY HAIR』栄1号店のオープニングスタッフとして本店大府から移転。その後店長、ディレクター、取締役に就任。雑誌撮影や外部講師としても活躍中。
25歳という若さで独立を果たす。自身のバイタリティーを武器に数々の作品を披露し、郊外のサロンながら、業界内でもその名を馳せる逸材。
≫D.C.T.のサロン求人情報を見る第3回 所見)
夢の実現を目指し、諦めることなく前向きにつき進んできたみなさん。目標となる対象や人物を設定することでモチベーションを維持するのが成功の秘訣とも言えるようです。


司会)
現在新人、あるいは中堅の立場にいるスタイリストからすると、みなさんは憧れの存在でもあります。みなさんも同じように、当時憧れの人物や夢、野望などはお持ちだったんでしょうか?
HIRO)
僕は床屋だったんで、やっぱり美容院に憧れてましたね。
司会)
それはどうしてですか?
HIRO)
正直な話、女の子に「仕事何してるの?」って聞かれたときに「美容師やねん」って答えたかったんですよ(笑)。かっこいいじゃないですか。
一同)
笑
司会)
女の子にモテたかった…?
HIRO)
ま、そうです。みんなそうじゃないですか?
一同)
笑
HIRO)
始めはそんなんでしたね。けど、自分が仕上げたスタイルを喜んでくれるお客さんが増えた頃から変わりました。スタイリストという肩書きではなく、職業を楽しめるようになった。
司会)
最初はモテたいのがきっかけだったはずが、どんどんハマっていったというわけですね。大嶋さんはいかがでしたか?
大嶋)
僕もいやらしい話…「稼ぎたい」って。
一同)
笑
司会)
自分の腕でどれだけできるか、というチャレンジャー精神でもありますよね。
大嶋)
前にも話が出ましたが、当時カリスマ美容師ブームが起きて、彼らはポルシェとか乗って華やかな生活が取り上げられたりしていて、「俺もポルシェに乗ってやる!」みたいな(笑)
司会)
なるほど(笑)。確かにカリスマ美容師の影響は大きかったですよね。大嶋さんは美容業界最高峰ともいえる『JHA(ジャパンヘアドレッシングアワーズ)』において、国内でも10人の美容師に選ばれた経歴をお持ちですが、クリエイティブな面においても意識は高かったんですか?
大嶋)
『JHA』に関しては、実は人材獲得対策で…。今の店を出した当時、求人が全然来なかったんですね。来てもすぐ辞めちゃう。とにかく売り上げを伸ばして会社を大きくするためには、何よりも人がいないと始まらないわけで、辞めないような人材を確保するにはどうすればいいか考えたんですね。そうするとやっぱりデザインが好きな子になるんですよ。そんな子たちに来てもらうには、美容業界の中でブランドになるしかない、そこで思いついたのが『JHA』で。デザインが好きな子が一番注目しているコンテストだし、これで賞を取れば業界内でも名前が知れ渡る。それがきっかけです。
司会)
だからといってそんな簡単に賞は取れませんよね?
大嶋)
いや、運が良かっただけですよ(笑)。確かに、過去の作品とか業界誌とか見てめちゃくちゃ勉強しましたけど。どうせやるなら狙っていこうって。お蔭様で今では辞める子も少なくなり、落ち着いています。
HIRO)
僕も求人には困りましたね。特に地方なんで、辞める辞めないの前に入って来ないんですよ。そんなとき『RITZ』のかないさんに相談したところ、「地方だったらなお更クリエイティブで勝負しないと人なんて集まらんぞ」って言われて。それこそ「『JHA』狙ってみたら」って話も出ましたね。ですが、僕は当時ウィッグのはめ方も分からなかったし…けどやるしかなかったんでそこから徐々にクリエイティブの世界に入り込んで。
司会)
ほとんどゼロからのスタートですか。
HIRO)
ですね。東京の有名サロンの有名スタイリストを指名して髪を切ってもらたったり、自分の作品を月に1回は東京の業界誌編集部に持ち込んだり。とりあえず、三重といえばHIROって名前を覚えてもらうだけでも意味があると思いましたし、何度も通えば次第に仲も良くなって、色んな情報を収集できますしね。作品作りを通してたくさんの人脈も増えたので、資金はかかりましたがそれ以上の価値はあったと思います。
鈴木)
今でも続けられてるんですよね。うちのオーナーもHIROさんのことを絶賛していて、「お前も見習え」って言われてます(笑)
一同)
笑
司会)
鈴木さんは野望などはありましたか?
鈴木)
そうですねぇ…大府店にいた頃に「もっと都会で働きたい」という思いくらいでしょうか。あとは「有名になりたい」「稼ぎたい」という漠然とした夢くらい。栄店がオープンして、移転させてもらえたので、運良く1つは叶いました(笑)。ですがその頃は全然コンテストで賞を取れなくて、それが野望になったときがありましたね。自分としてはすごく満足しているのにどうして認められないのか…。でもその答えは簡単で、僕の作品は自己満足そのもの。自分がいいと思うものを作れればそれでいいと思っていて、人の意見を全然聞かなかったんですよ。人に認められるには、人もいいと思うものを作らなければということに気づいて、それからはやっと人の意見を聞くようになりました。
司会)
有名になるにはまずは結果や実績が必要ですもんね。
鈴木)
はい。それから少しずつ賞が取れるようになって、ディレクターに昇進しましたね。
司会)
斉藤さんはいかがでしたか?
斉藤)
うちは名古屋市でも郊外にある小さな店だったんで、稼ぎたいっていう意識よりもクリエイティブな面で評価されればいいなっていう思いが強かったかな。小さな店だけど、同じ美容師として、デザインする事では負けたくないっていう。なので『JHA』は夢の舞台でした。夢の舞台ではありましたが、「自分にはできない」じゃなくて「自分はできる」と信じて頑張ってましたね。
司会)
なるほど。みなさん常にアクティブでプラス思考をお持ちですが、そのモチベーションはどのように維持されていたんですか?
斉藤)
実は鈴木さんをとても意識というか、ライバル視していて(笑)。同い年なうえ、下の名前が一緒なのもあって。ちゃんと話したことはなかったんですけど、ミルボンのコンテストなどで賞を取られたときなど「おぉ、負けられん!」って。向こうからも意識してもらえるように頑張ろう、っていうのがモチベーションだったと思います。
司会)
それはいつ頃のお話ですか?
斉藤)
10年くらい前ですかね。
司会)
鈴木さんも斉藤さんのことを意識されてたんですか?
鈴木)
………。
一同)
爆笑
司会)
鈴木さんはあまり周りを気にされないタイプですもんね(汗)
鈴木)
ウソウソ。コンテストでちょいちょい会うようになって、名前も一緒だし(笑)、可愛い作品作るなって意識はしてましたよ。
斉藤)
いいです、僕の片思いで(笑)。『JHAのライジングスター』の受賞式で同じ舞台に立てたときは本当に嬉しかったです。
HIRO)
目標となる対象を見つけと張り合いになりますよね。僕は業界誌などで同じ人の作品が毎回巻頭の方に載ってるのを見ると「またこの人載ってる」って意識しだして…
司会)
なるほど。大嶋さんは目標となる人などいらっしゃいましたか?
大嶋)
ん~、あんまり考えたことないかも…。こうなりたいなっていう理想の自分と照らし合わせちゃうんで…理想の自分がモチベーションというか。しいて言えば『REMIX』が気になる(笑)。
司会)
人でなくサロン全体がですか?
大嶋)
はい。作品にしても常に新しいものを出してくるし。若い子も次々に出てくるし。みんなそれぞれ個性は出ているのに、『REMIX』っぽさは共有されていて、ブランド力がすごい。若い子がコンテストに入ってくるって簡単じゃないと思うんですよね。どういう環境でどうやって人を育てているのかも含め、すべてが気になります。東京の有名サロンとかは全然気にならないんですけどね。
斉藤)
『REMIX』っぽいっていうのはよく言われますが、内輪ではそんな意識全然ないんですよ。ただみんな、オーナー岩田の作品が好きで入ってきてるので、好みが似ちゃうんでしょうね。